誰かの雑記帳

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青春ミステリに関する覚書

次回こそ青春ミステリの話ができたらいいね、と言ってから2ヶ月超ブログを更新しなかったのは、次こそ青春ミステリの話をしようと思っていたからだし、その間全然本を読めなかったからというのもある。本当になんのためのブログなんだ、というところであるが、それでもやっとこさ青春ミステリの話をする気になったので今回は青春ミステリに関する覚書ということでやっていこうと思う。

以下、青春ミステリに関する覚書である。

・青春ミステリとは?
まず青春ミステリとは何か? という話だが、青春ミステリとは読んで字のごとくミステリのジャンルの中でも青春をテーマとした作品群のことである。しかし、一言で青春と言ってもその意味は幅広く、友情や恋愛、何か目標に向かってひたむきに打ち込むといった明るいものから肥大化した自意識や屈折した全能感、鬱屈した感情などの暗いものまで様々である。そうした中で、青春がミステリと結びつく際には、作中で事件が発生するというミステリの性質上底抜けに明るいものにはなりづらく、どちらかといえばシリアスな作品が多くなるように(当然反例はあるだろうが)感じる。個人的な定義をすれば、青春ミステリとは曖昧で多義的な青春という言葉を、ミステリというジャンルのガジェットを用いることでなんとか捉えられるようにしようとする作品群のことだと言える。

・青春ミステリのここが好き
青春ミステリの好きなポイントを挙げる前に私が「青春もの」に求めている要素を挙げたい。それは「視野の狭さ」、「愚直な正義感」、「全能感あるいは優越感」の3点である。そして青春ミステリにおいてはこれらの要素がより克明になるような気がする。これらの要素を持つ登場人物だからこそ、青春ミステリの犯人や探偵になり得るのだと思う。その視野の狭さゆえに事件を起こさざるを得なかったとか、正義感や全能感ゆえに事件の解決に乗り出すといった行動がすごく好きなのだ。また、他には事件の解決によって視野の狭さが解消され、世界が開かれることで起こる感情の変化も好きな要素である。新たな世界を知って成長するもよし、全能感が粉々に砕け散って無力さに打ちひしがれるのもよし、とどう転んでも好きなのでこの感情の変化を常に求めていると言っても過言ではない。青春ミステリというジャンルは、青春ものとしての側面をミステリによって強化しつつ、青春ミステリ固有の面白さもあるジャンルだと思う。

・ミステリを通して青春を語ること
先述したように、「青春」とは非常に曖昧で多義的な言葉であるが、ミステリという枠組みを与えてやることでこれについて語ることはできないだろうか。ミステリとはある程度の決まりごとやお約束があるジャンルであり、その型にはめることで青春を理解することができるかもしれない。ミステリは謎と解決があるものだが、もしも謎と解決を「理解できないこと」と「理解しようとした結果」に置き換えることができたなら、青春の様々な場面で起こる断絶を理解しようとする営みこそが、ミステリを通して青春を語ることの本質ではないだろうか。そうやっていくつもの断絶を乗り越えながら、きっと私たちはわかりあえるはずだと手を伸ばし続ける強さが、そしてその先にある相互理解の喜びが、物語の枠組みすら超えた普遍的な美しさなのかもしれない。

・青春を通してミステリを語ること
逆に、青春を通してミステリを語るとすれば、好きなところで語ったような若さゆえの感情によって謎が生まれ、そして解決されることがミステリらしさと言えるのではないだろうか。視野の狭さや全能感だけでなく、その日その日を必死に生きている焦燥感にも似たような熱量が時として過剰に駆動し、他者との断絶、すなわち謎を生み出してしまう。そしてその謎を解こうとする側にも思春期らしい感情があり、謎を解く原動力になっている。また、登場人物たちの成長などがミステリの謎と解決と密接に結びついているのも青春ミステリだからこそできることである。こうした登場人物の感情や成長を、謎と解決と結びつけられるというのが、ミステリとしての青春ミステリが持つ強さなのかもしれない。

・青春の「ゆらぎ」、「苦み」について
青春ミステリでは、時々青春ものに特有の「ゆらぎ」や「苦み」があるといった表現がなされる。青春ミステリというジャンルにおいて、これらはどのような役割を果たしているのだろうか。まず、「ゆらぎ」についてだが、個人的にこれは青春ミステリにあってほしい要素である。若さゆえの感情や思考のゆらぎこそが謎の発生に繋がり、トリックを弄する理由になるからである。一歩間違えれば成功しない綱渡りのようなトリックも、このゆらぎによるものだとすれば納得できる。このゆらぎは言い換えれば危うさとも言えるが、この思春期ゆえの危うさ、ギリギリのバランスの上で成り立っている感覚が青春ミステリにはあってほしい。次に「苦み」だが、こちらは個人的に青春ミステリに必須とは思わない。「青春ミステリに特有の苦み」とはよく言われるし、それは隠された謎を明らかにするというミステリの性質上真相が苦いものになりがちというのもわかるのだが、苦味こそが青春ミステリの良い点であると言われたら頷くことはできない。青春ミステリについてシリアスなものが多いとは言ったが、シリアスであっても苦みが必要ではないと思う。もちろん苦みのある傑作も多々あるのは知っている。が、すべての青春ミステリに苦みがあってほしいわけではない、ということだ。

・まとめ
それでは、これまで述べてきたことから今一度青春ミステリについてまとめると、青春ミステリとは、「青春のゆらぎによってできた断絶を理解するために手を伸ばすという行為を、ミステリという謎と解決の枠組みを用いて表現しようとしたジャンルの一種」であると言える。この断絶と理解の関係、手を伸ばす行為の美しさが他のジャンルに比べてより強く押し出されることで、青春ミステリというジャンルはこれだけの人気があるのではないかと考えられる。(文中で多用した断絶と理解の概念に関してはインターネットのサイトを参考にしている)


以上、ここまでが私の青春ミステリに関する覚書である。本当はまとめの後に好きな青春ミステリ作品を10作品紹介するつもりだったのだが、予想以上に覚書が長くなってしまったので作品紹介は後日別の記事で行うことにしようと思う。こちらの紹介記事はそう遠くないうちに更新できるといいね。

それではまた次回、「私の好きな青春ミステリ10選」の記事でお会いできることを祈って。