誰かの雑記帳

好きなものの話をします。

ゆめゆめ

夢 夢ってなんだ

 

 

お久しぶりです。

前回のブログで新年の挨拶をしたと思ったら、ブログを放置している間にクリスマスが終わってもうすぐ新年だよ皆さん。

さて今回ブログを書いているのは、せめて年内に一度は更新をしたかったからなんだけど、私が前回なんと言ったか覚えている人はいるだろうか? そう、次回は青春ミステリ10選をやりたいと言っているのである。じゃあ今回の記事は作品紹介かというとそうではない。まだ作品紹介は書いてもいない。次、次の更新こそ好きな青春ミステリを紹介できることを祈っている。

では今回の記事では何をやるのかというと、私には夢ってやつがよく分からなくなったのでその話をしたいと思う。長くなるかもしれないしそうはならないかもしれないが話をしよう。

 

さて、私には夢があった。誰でも一度は思うような、ありふれていて、退屈な、そんな夢だった。私は自分で自分を認めてやるのが苦手で、自分の長所なんて考えられもしなかったけれど、唯一これだけは他人よりも得意かもしれないと思うことがある。そして、普通の人生を送ることに失敗して人生を転落してゆく自分にとって、それこそが自分に最後に残されたものだと思うようになった。この能力を活かせば、人生一発大逆転だって夢ではない、そう思うようになった。となれば、私がある職業を目指すようになるのは自然なことだった。その職業に就くのは難しいと知っていたし、その職業で食べていくのもまた難しいと知っていたけれど、普通に生きていくことのできない社会不適合者の私にとって、人生を好転させるにはこれしかないと思った。そうして、私には大きな夢ができた。

 

結論から言えば、私はその夢を半分諦めた。半分、とはどういうことかというと、その職業につけなくてもいいか、と思うようになったということだ。以前はそうなる道以外は考えられなかったが、今の私はその職業を目指さずに普通の就職を考えようとしている。その上で、もし、どうしようもなく自分が社会に向いてないと思ったら、もう一度その職業を目指そう、もし社会でもやっていけるのならその職業は目指す必要はない、そう考えるようになり、一旦はその職業を目指すことをやめた。でも、もしかするともう一度その職業を目指すかもしれないと考えている。だから、半分だ。私は自ら掲げた大きな夢をたちまち諦め、一度は逃げ出した普通の人生に戻ろうとしている。

と、思っていた。

しかし、今の私はこう考えている。

そもそも私の夢は夢であったのか、と。

私が夢を諦めるにあたって何か契機があったわけではない。というか何もなかった。挫折したから夢を諦めるなどということはない。何故なら私は夢に向かっての努力を1つもしていないからである。努力すれば、挑戦すれば、そのまま高い壁に跳ね返されて、挫折することもあったかもしれない。だが私は何もしていない。壁にぶつかろうとすることすらもしなかった。私には夢に向かって行動する気力も覚悟も何もなかった。果たしてそんな人間の掲げる夢は、本当に夢だと呼べるのだろうか。

そうして私は夢というものがどういうものなのか分からなくなってしまった。私の抱えるこの程度の気持ちでは夢と表現することもできないのでは、と思う。

Twitterなんかで私が目指そうとした職業を目指している人を見かけると、皆私なんかより才能があるのに努力もしていてそれに懸ける情熱も覚悟もあるというのが分かってどうしようもなくなる。やはり夢を追うとはこういうことなのだと思わされる。彼等に比べたら私がやったのはただそうなりたいとちょっと思っただけだ。これを夢とするだなんておこがましい。じゃあ結局私が夢だと思っていたあの気持ちはいったい何だったんだろう。それが分からなくて私は今この記事を書いている。

さて、この問いに答えは出るのか、それは私にはもう分からない。あの気持ちは夢だったのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。もしかしたら今後これを夢だと言えるくらいのめり込めるものができるかもしれない。そうなればいいけれど、そうはならない気もする。

だけど、いつか。

私にも夢があると、そう胸を張って言える日が来ることを祈って。

今日のところは、夢のない日々を送ろうと思う。